北陸新幹線が停車する長野県・佐久平駅。その改札を抜けると、世紀末の荒野から蘇ったかのような、異様な迫力を放つ胸像が鎮座しています。漫画『北斗の拳』に登場する、北斗四兄弟の三男・ジャギです。
ヘルメットの冷たい質感、筋肉の隆起、そして溢れ出る悪のカリスマ性。この「ジャギ像」を作り上げたのは、フィギュアメーカーではありません。地元・佐久市で60年以上の歴史を持つ製造業、吉田工業株式会社です。
精密な金属加工技術を持つ「優良企業」であり、売上もV字回復を果たし、順風満帆に見えるこの会社の社長、吉田寧裕(よしだ やすひろ)。しかし彼はある夜、ひとり車を走らせ、闇に包まれた山の中で絶叫していました。
「ひでぶっ!」……とは言わなかったかもしれません。ですが、その心は間違いなく、北斗神拳を食らったかのように粉砕されていたのです。これは、業績という数字の裏で「社長という役」を演じ続け、孤独に陥った男が、泥まみれの掃除道具を手に取り、本当の「仲間」を取り戻すまでの再生の物語です。
吉田寧裕(よしだ やすひろ)
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吉田工業株式会社
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まさかの「ジャギ」。技術の無駄遣いこそ、最高の贅沢
なぜ、ケンシロウではないのでしょうか。ラオウでも、トキでもなく、なぜ「ジャギ」なのか。「本当は、北斗四兄弟全員を作りたかったんですよ(笑)」と吉田社長は少年のような笑顔でそう語ります。

ことの発端は、佐久市が『北斗の拳』原作者・武論尊氏の故郷であることから始まった地域振興プロジェクトでした。吉田工業が持つコア技術は、精密な切削と「アルミ鋳造」。溶けたアルミを型に流し込み、複雑な形状を一体成型するこの技術があれば、漫画の世界を現実に出現させることができます。
「地元の企業として、ものづくりで佐久を盛り上げたい」。その熱意の中で選ばれたのが、武論尊氏のお気に入りキャラであり、その造形的な複雑さから技術力を証明するにふさわしい「ジャギ」だったのです。
アルミ鋳造とモルタル造形を駆使して作られたその像は、単なるモニュメントの域を超え、吉田工業という会社の「遊び心」と「本気の技術力」を世に知らしめることになりました。
ですが、このように社員と一丸になって「面白いこと」に挑めるようになるまで、吉田社長は長く険しい「心の荒野」を彷徨った過去があります。
「ここではないどこか」へ。エリート街道からの逃走

現在でこそ、地元への愛を語る吉田社長ですが、かつては佐久市という土地が嫌いだったといいます。
「とにかく閉鎖的に感じていて、息が詰まりそうでした」
県内屈指の進学校・佐久長聖高校に通っていた頃、周囲の目は常に「吉田工業のアトツギ」として彼を見ていました。個人の人格ではなく、家柄や看板で判断される毎日。「ここから逃げ出したい」。その一心で、彼は日本を飛び出しました。
向かった先は、アメリカ・デンバー。コロラド大学への進学です。佐久とは対極の世界でした。誰も自分の家業を知りません。広大な大地、多種多様な人種。
そこで出会った親友たちは、吉田寧裕という一人の人間として接してくれました。「個」として生きる自由と刺激に満ちた日々。卒業後も東京で就職し、もう故郷には戻らないつもりでいました。
転機は突然訪れます。「戻ってきてほしい」という父親からの電話。疎遠であった父が、進路に口出しなどしなかった父が、初めて頭を下げてきたのです。アメリカへ行かせてくれたのも、東京での生活を黙認してくれたのも父でした。その父が、初めて自分を頼ってきた。
「あんなに自由にさせてくれた父が言うなら……」
吉田社長は、業績が低迷していた家業を立て直すため、覚悟を決めて佐久へ戻りました。
V字回復の罠。山に響いた「断末魔」

入社後の吉田社長の働きぶりは、まさに「救世主」でした。持ち前の行動力と新しい視点で経営改革を断行。
低迷していた業績は見事にV字回復を遂げます。「会社は良くなった。社員もきっと幸せなはずだ」。彼はそう信じて疑いませんでした。
しかし、現実は残酷でした。
組織の状態を可視化するために導入したNPS(ネット・プロモーター・スコア)調査。その結果を見た瞬間、吉田社長は血の気が引くのを感じたといいます。ズラリと並んでいたのは、推奨度最低レベルの評価を意味する数字、数字、数字。
「社長の言っていることは正しいが、ついていけない」「会社は良くなったが、私は苦しい」。無記名のコメントからは、社員たちの冷めた目線と、疲弊した本音が溢れ出ていました。

その日の帰り道、吉田社長は無意識のうちに車を会社と自宅の間にある山道へと走らせていました。周囲には誰もいません。車を停め、暗闇に向かって言葉にならない叫び声をあげます。
「なんでだよ! 俺はこんなに頑張ってるのに!」
それは悔しさでした。良かれと思ってやってきた施策が、すべて裏目に出ていたことへの。
「誰もわかってくれない……」
それは虚しさでした。業績という数字だけを追い求め、社員の心を見ていなかった自分への。
悔しさと虚しさが入り混じったその叫びは、誰に届くこともなく、夜の山に吸い込まれていったのです。
北斗の拳の悪役たちが散り際に上げる断末魔のように、それは吉田社長の中で「独りよがりな社長」が死んだ瞬間だったのかもしれません。
「社長役」を降りる。一番汚い場所で掴んだもの

「自分は、立派な社長という『役』を演じていただけだったんだ」
山での絶叫を経て、吉田社長は気づきました。業績を上げるために、社員を駒のように動かしていた自分に。
そこからの行動は素早いものでした。まずは経営陣、幹部陣から外部研修の受講による学び直しをスタート。そして彼自身も、現場の最前線へと降りていったのです。
象徴的だったのが「掃除」です。
吉田社長は、工場の中で最も汚く、誰もが嫌がる場所を自らの担当にしました。油まみれになり、機械の隙間に手を突っ込み、泥にまみれる。「社長、そこまでしなくても……」と遠慮する社員に、言葉ではなく背中で語りました。「俺たちは同じ船に乗っている仲間だ」と。
トップが変われば、風が変わります。
以前は「私なんて……」と下を向いていた女性社員が、ある日「班長に立候補させてください」と手を挙げました。その瞬間、吉田社長は業績回復の時よりも大きな喜びを感じたといいます。
それは、かつてデンバーで感じた「個」の解放が、この佐久の工場でも起き始めた瞬間でした。
製造業オヤジバンドの「本気」と、これからの未来

「僕、バンドをやってるんです。メンバーは全員、製造業の社長たちなんですよ」
そう語る吉田社長の表情は真剣そのものです。単なる趣味と侮るなかれ、その活動は本気です。定期的な練習のためにわざわざ東京のスタジオまで通い、2025年には年間6回ものライブを開催したそう。
「バンドで一番楽しいのは、自分がソロを弾いている時じゃなくて、メンバーが笑顔で演奏している姿を目にすることなんですよね」
製造業とバンド活動。一見無関係に見えますが、今の吉田社長にとっては同じことです。社員というメンバーが、それぞれのパートで輝き、楽しそうに仕事をしている。そのグルーヴ感こそが、今の吉田工業の強みになっています。
やると決めたら、やる。北斗の拳プロジェクトも、バンドも、組織改革も、根っこは同じです。吉田工業は今、単なる製造業(ものづくり)の枠を超え、飲食や体験を提供する「ことづくり」へと領域を広げています。
かつて「閉鎖的だ」と逃げ出した故郷・佐久市。しかし今は、その土地に「ジャギ像」というユーモアを植え付け、社員と共に新しい風を吹き込んでいます。
山で叫んだ夜、孤独だった男は今、多くの仲間と共に、佐久の地から世界を「あっ」と言わせる準備をしています。吉田社長のセカンドステージ、次の曲はまだ始まったばかりです。




