香港世界フォーラムでのサクセスストーリーアワード受賞、女性起業家大賞グロース部門奨励賞受賞、明治大学教授との共著出版——。高知を拠点にハンバーガーショップを運営しながら、食品製造・農業・化粧品開発まで手がける6次産業化、香港・ハワイへの海外出店。
こうした言葉を並べると、颯爽と世界を駆けるビジネスウーマンの姿が浮かびます。しかも、これがすべてひとりの人物のことだといえば尚更。彼女の名前は、森本麻紀さん(株式会社グラディア代表取締役)です。
土佐弁の『はちきん』は、男勝りで活発な女性を意味する言葉が似合いの彼女。「男の人の4倍働くって意味が込められていて、“はちきん”です」と意味深に麻紀さんは笑います。
ですが、取材を重ねるうちに見えてきたのは、そのような姿とはまったく別の麻紀さんでした。
麻紀さんが話すとき、その言葉の先には常に誰かの顔があります。お父さん、旦那さん、子供たち、お孫さん、友人、地域の子供たち——大切な人たちに笑っていてほしい、幸せでいてほしい。その思いが、麻紀さんのあらゆる行動の底に流れています。
これは、止まることを知らない一人の女性の物語です。ただし、その原動力は「野心」でも「使命感」でもありません。愛する人たちに幸せでいてほしい——ただそれだけの、途方もない純粋さの話です。

森本麻紀(もりもとまき)/ 株式会社グラディア 代表取締役
1998年、日本興亜損保(現・損保ジャパン)へ21歳・女性という採用条件外から特例採用される。2001年に保険代理店として独立開業。2003年有限会社ゴーイング創立(ハンバーガーショップ『5019(ゴーイング)』)、2009年株式会社グラディア設立。2013年ハワイ、2017年香港へ出店しグローカルビジネスを展開。食品製造・農業を組み合わせた6次産業化を推進する。地域の小学校への農育・食育ボランティアも継続中。2019年香港世界フォーラム・サクセスストーリーアワード受賞。2020年第18回女性起業家大賞・グロース部門奨励賞受賞。2023年「にっぽんの宝物JAPANグランプリ」でグランプリを受賞するなど、地域と世界を繋ぐ「グローカルビジネス」の先駆者として活躍中。
子供からの純粋な質問、「うちって貧乏なの?」
麻紀さんの話を聞くと、何度も出てくる言葉があります。「貧乏が怖い」。しかしその怖さの正体は、麻紀さん自身の暮らしへの不安ではありません。
「自分一人だったら貧乏も笑っていられそう。でも子供たちにそんな思いをさせたくない」
24歳のとき、義父の会社が高知大水害で倒産しました。善意の人だった義父は、本来補償不要の自然災害被害に自腹で対応した結果、資金が尽きてしまったそう。さらに麻紀さん名義で身に覚えのない借金まで発覚。
切羽詰まりながら保険代理店として稼ぎ続けていたある日、小学生の息子が帰ってくるなり「うちって貧乏なの?」と聞きました。近所の子に言われたのだといいます。麻紀さんの腹の底に、火がついた。
「子供たちに噂されるのは、いよいよやばい。自分の子にそんな言葉を聞かせちゃいかん」
麻紀さんはその日から、毎年夏は必ず子供を海外へ連れていくと決めました。真っ黒に日焼けして帰ってくれば、誰も「貧乏」とは言いません。子供の自尊心を守るための、母としての戦略。その連鎖は、今も止まっていません。
「今でも貧乏は怖い。自分がひもじいのは平気そうだけど、家族が我慢するのは、私が耐えられなさそうで」
ハワイへの家族旅行、麻紀の涙は止まらない

麻紀さんがハワイに強烈に惹かれる理由は、「海外事業の拡大」とは別のところにあります。
「小学6年生の時に、父が初めて家族旅行でハワイに連れていってくれたんですよ。感動しすぎて、4泊したんですけど、最終日の夜にホテルのベランダでボロボロと涙が出て」
お父さんが商売を始めると決めたとき、子供たちを集めてある約束をしてくれたそうです。「晩御飯が遅くなるし、休みもなくなるから一緒に遊べないけど、お父さんはお前たちを旅行に連れていくために頑張る。だから商売させてくれ」。その言葉の通り、父は懸命に働き、子供たちをハワイへ連れていったわけです。
そんな背景があったから麻紀さんは、泣いた。涙を流しながらも、心に決めたことがありました。「絶対、大人になったらここに住むんだ」と。
ところで、娘との約束を全力で守った、心優しい父親の話に聞こえたかもしれません。心優しいのは事実でしょうが、でも実は、お父さんは非常に厳格な人だったと麻紀さんは語ります。
「女の子だからダメ」という言葉が日常で、高校の門限は午後4時半。部活も辞めざるをえなかったそう。それでも麻紀さんには、ハワイ旅行の思い出も含めて、厳しさの裏に深い愛情があることがわかっていました。
だからこそ、ダメと言われるほど知恵が湧いた。制約があるなら突破する方法を考えるだけ——それが幼い頃から染みついた麻紀さんのやり方でした。
愛されたから、愛せる人になった。父が刷り込んだその感覚は、麻紀さんのあらゆる行動の根底に流れ、子供たちへはもちろん、孫の代へと受け継がれていきます。
孫のアトピーが農業への目覚め
コロナ禍、孫が次々と生まれました。アトピーがちな孫の肌を見て、麻紀さんは考えました。「コンビニのものを食べさせちゃダメ。ちゃんとした野菜を食べさせたい」。自宅の庭に家庭菜園を作り、無農薬で人参を育て始めます。
「できた人参を、孫たちが生でパリパリ?ボリボリ?とにかく、そのまんま食べてたんですよ。これがすごくて」

そこから麻紀さんはドハマりした。農業動画をYouTubeで毎日視聴し、土の科学を独学で研究。今では自社農園を持つまでになりました。農薬も化学肥料も使わない。孫の体のために始めたことが、会社の6次産業化事業へと育っていきました。
「従業員からすれば、『社長がまた勝手に燃え始めた』と映ってるでしょうけど」と笑いながら、「いま一番夢中なのは農業なんです」と語る麻紀さん。開発中のオーガニック化粧品の商談で、今月もハワイへ飛ぶといいます。
食への探究は農業だけに留まりません。コロナ禍に家庭で手づくりした焼き肉のタレが評判を呼び、化学調味料不使用の「万能」シリーズとして商品化。現在はハワイの店舗でも販売されています。
自社農園もその6次産業化の一翼を担い、農から食、食から店舗へとひとつの循環が生まれつつあります。その循環の輪は、地域の小学校で行う農育・食育ボランティアへも波及しています。
活動の根底にあるのは、一人の大人としての矜持です。「子供たちのやりたいことを、言うだけじゃなく形にするところまで一緒にやりたくて」と麻紀さんは語ります。
大人が口先だけで理想を語るのではなく、実際に汗をかき、壁を乗り越えて具現化する背中を見せること。子供たちの無垢なアイデアを「無理だ」と切り捨てず、実現への道筋を共に歩む伴走者であること。そうして得られる「形になった」という成功体験こそが、次世代の糧になると彼女は信じているのです。
地域に根ざし、未来を耕す。その教育的な実践もまた、彼女が描く大きな循環の一部にほかなりません。
はちきんが決して止まれない理由

自分のやりたいことはすべて、誰かの顔と繋がっている——麻紀さんはそう言います。
農業は孫に安全な食を届けるため。化粧品開発はハワイへの夢を手繰り寄せるため。そして65歳でハワイに農園のハンバーガー屋を開くのは——麻紀さん自身の夢の実現であり、孫や子供たちが春休みや夏休みに集まれる「場所」を作るためでもあります。
「15年経ったら孫たちも高校生だから、夏休みに来ればいいじゃんって。私はそこで待ってる(笑)」
好きなことをやっているのに、その先には必ず家族の顔があります。仕事と愛情が完全に一致している——だから疲れがない。止まれるわけがないし、その必要もない。
末の娘さんは今、高校1年生。「娘が卒業したら、二拠点生活を始める」。そこまでは待つ、と麻紀さんはいいます。ただ、水面下では着々と動いていました。
「急にハワイに行くのもあれだから、今月も商談しに行きますよ(笑)」
家族の幸せが、麻紀さんの幸せ。この二つが完全に一致した人間は、驚くほど強く、そして止まりません。
諦めたことがない人生を今日も走る
インタビューの最後、麻紀さんはこんな言葉をくれました。
「何も諦めない人生を今歩んでる。絶対諦めない。しつこいです。やりたいことやってるんだから」

幼い頃、わんぱく相撲大会は男の子だけのもの。「女の子でしょ」と言われても麻紀さんは引きませんでした。体が小さいなら小さいなりの戦い方を考えればいい——そう思って土俵に上がりました。
就職でも同じです。採用条件は「25歳以上・男性・運転免許保持」。21歳の女性である麻紀さんに当てはまったのは、運転免許だけ。それでも面接に臨み、100人分の保険証券のコピーを持参。「これだけのお客さんが最初からいます」と見せたのです。会社は特例採用を決めました。
家業が倒産して借金だらけになっても稼ぎ続け、孫のためにゼロから農業を学び、65歳でのハワイ移住という夢を掲げながら、今は小説を書いているそう。「第9章まで書きました」と麻紀さんは笑います。
すべての行動に共通するのは、誰かの笑顔が見たいというシンプルで猛烈な動機。ひとりだけが幸せになりたいわけではない。家族が笑っていてくれるから、麻紀さんも笑える。だから、走るのをやめる理由がどこにもありません。
「最高に毎日が楽しい。めちゃくちゃ楽しい」
それは、好きなことをやっている人の言葉というより、愛する人たちのために走り続けている人の言葉です。家族を守り、家族に届けるために——“はちきん”森本麻紀は、今日もどこかで全速前進。止まり方を知りません。




